あきらめるか、フロアコーティングを追求するか
「では次回までに決めておいて下さい」などと夫婦に預けて帰ってくる。
すると何日かして夫から「もう家を建てるのやめました」とか、時には妻側から「あなたプロでしょ、キチンぐらいあなた決めてよッ」などとくる。
エッと驚きあわてて再度飛んで行くと、夫婦は互いにソッポを向き険悪な中での打ち合わせとなる。
これで胃をやられる若い設計者もいる。
もちろんこの手のトラブルはキチンばかりではない。
子供部屋の位置や部屋の広さなどの間取りから始まって、居間やダイニングの考え方、果てはベッドかタタミかと何から何まで意見が対立し、あわや夫婦離散かと思える事態にまでエスカレートすることも何度かある。
こうして次第にディテールにおよび、浴室のタイルの色で夫の頬に三本の引っかき傷、妻の頬に平手の跡となるとだいたい家づくりの終盤戦となる。
このころは若き設計者の頬もこけ、早くこの家づくりから逃がれたいと思うようになる。
「私、結婚を考え直しました」というのが彼らのだいたいの感想である。
要するにたった二人の家をつくるのでも、これほどの現実的むずかしさがあるのである。
もっともこうした葛藤があってこそ夫婦の愛はますます深まって、より二人に合った住まいになるのだから仕方がない。
若い設計者には気の毒だが、こうした二人の心の動き、考え方、そして育ち方を理解しないで、単に一つの「夫婦」として設計すると大変なことになるのだ。
では、親と子の同居となるとどうであろう。
仮に先の夫婦のそれぞれに、住まいづくりに対して十ずつの異なる意見があるとしよう。
仮に夫や父の意見が少なくて五や三であっても、そのぶん妻や母側に要望が増え、答えは五十歩百歩となる。
なんと核家族世帯の家づくりの百倍の難度のむずかしさであることがわかる。
また同居住宅の設計中に意見が出なかったとしても、その不満や住みにくさは必ず後に出て、今後の同居はむずかしくなるはずである。
さらに、まだ威厳があり元気な父親が「まあいいじゃないか、親子じゃないか」と二重一一日違えば、すべてのバランスが狂ってくるのだ。
実際の家づくりでは、互いの世代のギャップが良い方向に働き、互いに理解やあきらめもあって一見和気あいあいと進んでいる家づくりも、実はこのあきらめが問題の解決を遅らせ、後に災いとなることが多いのだ。
私の事務所ではなぜか同居住宅の設計が多い。
若いスタッフに「同居住宅は普通の住宅の百倍むずかしい」と言うと誰も手伝ってくれなくなるので、一家族に二夫婦と考えて、その二夫婦分の掛け算が同居住宅の設計の心構えだと説いている。
すなわち2×2、そうツーバイツー住宅だと言っている。
しかし答えはけっしてそうではないことも付け加えている。
「ニ世帯住宅」は同居住宅ではなく〝親子マンション″同居はむずかしい。
互いにいろいろ気を使ったり、気がねをしたりと、なるほど面倒で疲れそうだ。
しかし、親の元でないと広い家は建てられない。
親の側もやはり息子や娘が近くにいると老後が安心だ。
第一、孫の顔が見られるから寂しくない……。
それでは住まいを二階建てにして、床をコンクリートでがっちり仕切り、親は庭に面した一階に、子は階段を上って二階へと上下に分かれた勝手気ままの二世帯住宅がいいということになる。
なるほどなどとむずかしい計算をするよりも、上と下に、親子で二世帯が簡単この上もない。
同じ敷地に二組の家族が上下に別々に住む。
敷地も有効に使え、親子が隣り合せで住める。
一見これ以上の方法がないと思えるほどの妙案だから、これが売れに売れた。
二世帯が別々であれば気がねもなければいさかいもない。
それなら徹底して別々にする。
二階へは外階段で、玄関も門も別々にする。
そのためにはコンクリートのような固くて遮音性の高い構造がいい。
ところが庶民には鉄筋コンクリートの家は高すぎて手が出せない。
そこで構造は鉄育造とし、外側に軽量発泡コンクリートの板を張る強度は強くはないが厚さが十センチもあり、素人目にはなんともたくましく見える材料である。
いわゆるALC版のことだが、これが案外安い材料でできる疑似コンクリート住宅として受けた。
たまたま親の土地が防火地域で木造が建てられないなどの条件下にある場合は、簡易耐火住宅としても重宝だった。
何のことはない、重いALC版の外壁をぶら下げた鉄骨住宅なのだが、ALCのコンクリートのCの一文字のイメージに弱い中間層の戦中派に受けた。
建て替え、親の土地、二世帯二階建て、耐火、遮音。
答えはすべてOKとてる。
もっともこの種の住宅は、工場や小規模な事務所建築に使用されていたALC版を住宅に使ったらどうかといった気軽な発想から生まれたもので、当時まさかこんなに受けるとは予想されていなかった。
たまたま高齢化、地価の高騰といった社会変化に偶然に条件が重なったというものだ。
最近この種の住宅に住む人からの相談を受けることが多い。
もともと住むことを優先するよりも、大枠の基本前提によってつくられている住まいだけに、二世帯の発想も安易で、住む、暮らすといったもっとも大切なフレーズが短絡しているからかもしれない。
しかし多くの相談は前項のとおり、二世帯がきっちり分けられた「二世帯だけが住む小さなマンション」が実際は住みにくいといったものだ。
この点は選んだ人も反省し、かえって分けすぎた二世帯をどのように融合するかに悩んでいるようだ。
もっともこれは悩むというより互いのグチを言い合い、できれば別々の場所に住みたいと思っている人の方が多い。
これは、「あまりにも近くに住む、近すぎる親戚」の二言で表現される。
つまり、隣りに住むならかえって関係のない他人の方が気楽だということになる。
仲のいい問は最高だが、一度気まずいことがあると、かえって身内同士とは意識が通いすぎて隣り合わせでは暮らしにくいということからだ。
親子の意識はコンクリートの床や壁では断ち切れないのである。
床が固くて厚いほど、この意識は強くなり、双方の関係をさらに気まずくさせる。
「二世帯住宅」を二世帯の同居住宅だと錯覚して建てた人に、この種のトラブルと親子の関係を害している人が多い。
皮肉にも双方が気がね、気づかいをなくすために選んだ二世帯住宅は、身内が隣り合わせて住む〝親子マンション〟のため、なおいっそうの気づかいと気苦労が必要だったというべきか。
「二世帯住宅」の気づかいと気苦労では具体的には二世帯住宅での不都合はどんなところにあるのだろう。
「気がね・気苦労をなくすために双方の生活を別々にし、家の出入りも別々にL、互いが勝手に住めるのならこんなに楽なことはない。
一緒にいればこそ起こるトラブルが生ずるはずがない」なるほど大方の夫や父親はこう言う。
嫁姑双方とも生活もライフスタイルもきっちり分け、勝手に出かけたり、友だちを招いたりと一見何も不自由ない生活をしている。
もちろん生活費も別々だし、留守の時も互いに安心できるし、総じて満足感のほうが大きかったはずだ。
「何が気にいらないのか?」「何が気になるのか?」「いいじゃないか、放っておけ」これが夫や父親の最初の疑問や言葉だ。
しばらくこうした状態が続き、やがて嫁姑双方のグチが多くなり、ついには我慢ができなくなるというのが一般的なようだ。
「スーパーで友だちと買い物をしていたら一階に住む義母と偶然会い、その時『あーら、A子さんお久しぶり、子供たち元気?』と言われ、真っ赤になるほど恥ずかしい思いをした」と、二階に住む嫁の側の悩みを聞いたことがある。
フロアコーティングの説明文は、フロアコーティングのひとつの分野として考えられています。
数多くフロアコーティング広告がある中、ユーザーはフロアコーティングのすべてを見てくれるでしょうか。
「フロアコーティングに関心があるという声に応え、フロアコーティングでは確かに信頼される体制を整えたい」と述べた。
